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Cross Talk

創業40年、これまでと、そしてこれからに―。

株式会社学情
代表取締役 中井清和
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相談役 北野信雄

1967年〜 創業の頃苦労の中でも曲げなかった信念。それが40年後も会社を支え続けている。

中井社長 (以下:中井)
オイルショックの影響で勤めていた会社が経営不振に陥り、仲間が次々とリストラされていく姿を見て、自分は対象外にも関わらず、この会社に自分の将来を託せないと思い、独立したのが28歳。あれから40年、振り返ってみればいろいろありました。
北野相談役 (以下:北野)
もう1人のメンバーを合わせて3人でまさに裸一貫での創業。何もないところからの経営は、本当に苦労の連続でしたね。
中井
前職では営業として部署の売上のほぼ半分を1人で稼ぎ出していましたから、何とかなるだろうと思っていましたが、創業当時はとにかく信用、そしてお金がなかったので、仕事が決まっても支払いは前金で求められるのでとにかく資金繰りが大変(笑)。
北野
定期預金を解約してなんとか支払ったこともありましたね。でもその頃から絶対に守っていたことが「お客様の役に立つ」、そして「一緒にやって良かったとお客様に思っていただける」仕事をするということ。自分たちが第一ではなく、常にお客様目線で仕事を考えていました。
中井
それともうひとつは、「無駄遣いをしない」ということ。僕は経営学を学んだことはないけど、経営の本質である「売上を上げる」、「利益を出す」、そして「無駄な経費を抑える」、この3つにこだわって経営をしてきました。それは40年経った今でも全く変わっていません。
北野
応援してくださるお客様や協力業者も徐々に増えていき、少しずつ業績を拡大していくことができました。そうした人のつながりに、我々は本当に恵まれていました。

1981年〜 飛躍のチャンスを掴む就職情報事業への進出が、我々の未来を大きく変えた。

中井
創業以来順調に拡大し、毎年黒字ではありましたが、広告代理店の仕事はなかなか儲からない。我々の前に立ちふさがった最初の壁でした。
北野
10名程度の社員が全員休みなく懸命に働いて、年間の最終利益が数百万、という状態が続きましたよね。
中井
社員がこれだけ頑張ってくれているのに利益が上がらない。どうすれば社員の頑張りを利益に変えることができるのか、そのためには代理店ではなくメーカーにならないといけない。そうした発想の転換から生まれたのが、就職情報事業というメディアを持つメーカー。
北野
最初聞いたときはビックリしましたが、よくよく考えてみると面白いな、と思いました。けど、他の社員は全員反対。我々だけじゃなく働いてくれている社員、そしてそのご家族、みんなが幸せになるためにどうしたらいいか、悩んで考え抜いた末の結論でした。でもその時の決断がなければ、今の学情はありません。
中井
その頃、大阪には100社を超える広告代理店がありましたが、いまはもう存在しない会社がほとんど。残っていても規模は半分以下というところばかり。時代が変わっていく中で変化するものだけが生き残れるという、まさに典型になりました。

1989年〜 東京、名古屋へ進出、大きく発展を遂げるもっと多くのお客様の役に立ちたい。そのためには大阪に留まってはいられなかった。

中井
就職情報事業の成功を語る上で欠かせないのが、合同企業セミナー「就職博」。いまでは海外でも開催されている採用活動のスタンダードになりましたが、実は我々が初めて実施したオリジナル企画なんです。
北野
僕らはもともと人の真似をするのが大嫌い(笑)。だから、就職情報事業でもまだ世の中にない新しい商品を出すことを徹底的に追求したんです。
中井
当時はバブル景気でどの企業も採用難だった時代。就職情報誌に掲載してもハガキで応募者が集まるのは一部の有名企業ばかりで、多くの企業が学生に会うことすら難しい状況でした。であれば逆に、「企業から学生のいるところに出て行きましょう、学生は我々が集めますから」という提案をしたのが、就職博誕生のきっかけ。
北野
学情にとって最大の転機と言えるでしょうね。それをきっかけにお取引先企業が5年で約6倍、3,000社にまで増えました。30年以上経った今でも「就職博」シリーズは業界No.1の規模と実績を誇っています。
中井
採用に成功していただいたお客様の喜ぶ顔を見ていると、もっと多くのお客様の役に立ちたいという気持ちが芽生えてきて、1989年に東京、そして翌年に名古屋と主要都市に矢継ぎ早に拠点を展開していきました。いまの発展の礎を築けたのがこの頃でしたね。

1999年〜 学情へ名称変更、そして上場へ業界初の株式上場、想像以上の困難の連続だった。

北野
バブル景気崩壊後も、それまでの堅実な経営が功を奏し、順調に社業を発展させることができました。特に90年代後半から2000年代前半は、学情にとって大改革の時でしたね。
中井
当時は金融不安に端を発した、まさに不安定な時代。でも僕はそういう逆境のほうが力が湧いてくるタイプ。世の中が騒然としているときだからこそ、組織を1つにまとめる旗印を掲げて、みんなを引っ張っていこうと考えて、3つの大きな決断をしました。
北野
その1つめが大阪・肥後橋の本社ビル建設。そしてもう1つが社名変更。どちらも「なぜいま?」と周りからは驚かれましたが、時代に負けないんだ、そして時代を先取りする変化をするんだという強いメッセージを社内外に発信することができました。
中井
そして最後の1つが株式上場。これが一番ビックリされましたね。社員もみんな唖然としてましたから。
北野
本社ビルも社名変更も、そして株式上場も、社会的評価を高めることで社員が少しでも働きやすい環境を整えようと考えた結論。だから逆風が多少吹いても絶対に諦めず、最後までやり遂げることができました。
中井
株式上場を果たす1年前にアメリカで大規模なテロ事件があり、景気が一気に冷え込んだ影響で、当事上場準備をしていた企業の9割以上は延期か中止を余儀なくされました。加えて広告・人材業界の株式上場は前例がなく、まさに困難の連続でしたが、社員一丸となって取り組めば絶対に乗り越えられると信じ、前だけを向いて走り続けましたね。
北野
結果的に2002年に業界初の上場、さらにそこから2006年に未だに破られていない最速記録で東証1部上場を果たすことができました。世の中にないものに常にチャレンジし、実現し続けてきた学情の、まさに真骨頂になりましたね。
中井
「国内初」「業界初」、そしてなにより「1番」が好きだからね(笑)。1998年に取得したプライバシーマークもそう。業界初は言うに及ばず、全業界の中での出願順1位のうちの1社が学情ですから。
北野
それもお客様に安心して仕事を任せていただける体制を整えるところからスタートしていますから、やはり原点が「お客様のため」、そして「社員が安心して働けるため」にあるから、我々も頑張れたんでしょうね。

2013年 朝日新聞グループとの資本業務提携、さらに上のステージへ就職・採用に関する様々な社会的課題を、より多く解決できる会社になるために―。

北野
リーマンショックの影響で創業以来唯一の赤字を経験しましたが、翌年にはすぐに黒字化させ、その後5年間で売上と従業員数は倍に、経常利益は7.5倍にまで急拡大させることができました。
中井
その急拡大の大きな要因の1つとして挙げられるのが、赤字経営の苦しいときでも1人として社員をリストラしなかったこと。苦しいときでも仲間を見捨てなかったことで社員一人ひとりが奮起し、その後に素晴らしい業績を上げてくれました。
北野
それともう1つが朝日新聞グループとの資本業務提携ですね。従来の就職情報サイトを大幅にリニューアルした「あさがくナビ(朝日学情ナビ)」を筆頭に、双方のシナジー効果が現れる強力な人材ソリューションを次々に生み出しています。
中井
学情が今後もお客様や求職者に安心してご利用いただき、そして企業として持続的に発展していくには、朝日新聞社のような高い信用力とブランド力を持ったパートナーが必要だと考えたんです。次代にしっかりとバトンを渡せるよう、学情をもう1つ上のステージへ引き上げたい。そのための決断でした。
北野
若年層未就業者の増加や学生と中堅・中小企業とのミスマッチ、早期退職者の多発といった、就職・採用に関する問題は山積していますから、採用を成功させるパートナーであることはもちろん、そうした社会的課題に取り組み、解決できる企業として、学情の存在価値をいま以上に高めていかなければなりませんね。

2017年〜 大阪・東京2本社制、そして未来へ―次代を担う若者たちへ。これだけはぜひ忘れないでほしい。

北野
1989年にわずか数名で設立した東京本部もいまや100名を超える規模となり、2017年には東京本社となりました。東京の市場規模は大阪の10倍以上とも言われていますので、今後の学情の発展にとって最も重要な拠点と言えます。
中井
東京はもちろん、各拠点でそれぞれ優秀な若手社員がどんどん出てきてくれているので、これからの活躍が楽しみで仕方ありません。学情はこれまでも、そしてこれからも社会の変化に合わせて進化していく会社。そのスピードは決して落ちることはありませんから、社員全員がそれに負けないくらいの進歩、そして変化を遂げていってほしいですね。いまの学情は国内で主に人材ビジネスを手掛けていますが、決してそこに立ち止まらずに例えば海外に打って出るのもよし、新たなビジネスを手掛けるもよし。お客様のために、そして世の中のためになることであればこれからも積極的に挑戦していきますから、みんなもまずはそれに遅れずについて来てほしい、僕もまだまだ元気ですから、率先垂範でみんなを猛スピードで引っ張っていきますよ。
北野
40年間会社を引っ張ることができた原動力、そのほとんどはお客様からいただけた感謝の言葉です。お客様への感謝を決して忘れず、社員を何より大切にし、そして仕事は常に高いプロ意識を持って取り組み、どんな苦難が訪れても決して逃げないこと。これらの大切さを改めて次の世代にしっかりと伝えていくことが、我々の最大の責務かもしれませんね。
中井
「お客様と共歓共苦できる社員を育て、お届けする。」そして「よく働き、よく遊び、そして全員で良い成果をあげて全員で幸せになる。」創業以来変わらないこの思いをこれからも持ち続け、次の10年も全力で走り続けます。社員のみんな、ご家族の皆様、そしてお客様、関係者の皆様、これまでの40年、本当に有難うございました。これからの学情に、どうぞご期待ください。

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